岐阜県可児市にあるアコースティックギターの製造会社である株式会社ヤイリギター。「K.Yairi」のアコースティックギターは国内外問わず世界中のプロ・ギタリストからの支持を得ているギターブランドです。今回アコースティックギター博士が工場を訪問、マスタークラフトマンである小池健司さんがインタビューに応じてくれました。普段はなかなか聞くことができない貴重なお話を紹介します。
インタビューの前に、持参した音来(ニライ)へのピックアップ取付を依頼しました。さっそく広い工場の最深部、リペア室を兼ねるカスタムショップの仕事場へと案内されます。広い一室では、3人のクラフトマンがそれぞれの仕事をしています。今回の作業はその3人の一人、リペア担当の松尾さんに応対してもらいました。
早速作業が開始されます。今回依頼したのはプリアンプの無いパッシブタイプのピックアップだったためか、すぐに終わるとのこと。作業を見学するのはもちろんのこと、色んな質問にも応じてくれて、大変オープンな雰囲気です。しかし作業する手の動きには淀みがなく、次々といろいろな道具が登場して使われては片付けられ、目の前でどんどん作業が進んでいきます。
ストラップピンの穴を拡大してアウトプットジャックを取付けます。ジャックは内側から取付けなければならないため厄介な作業だと思っていたのですが、ここで秘密兵器の登場です。
先端がジャックにきっちりはまる「標準プラグ」になっているオリジナル工具。ジャックの固定が数分もかからないうちに終わりました。ヤイリでは「無いものは作る」というポリシーがあり、これ以外にも数々のオリジナル工具があるようです。
いよいよピックアップを取付けます。トップ材を叩き、おいしいポイントを探します。今回持ち込んだ「K&K Sound Twin Spot Internal」は、同じピックアップを二つ使うシステムで、今回はトップの高音側と低音側に貼付けます。貼付けるポイントによってアンプから出るサウンドも変わります。高音側はちょうど写真の右手が指しているポイントに貼付けてもらいましたが、サウンドホールも小さい上にブレーシングの向こう側だというのに、「よっ。」で終わりました。
フレットがくすんでいたのでバフで磨き、またナット調整までしてもらいました。他のメーカーに先駆けて早くから「永久保証」を始めていたヤイリでは、自社製品に限って調整は無償で、今回のようなピックアップ取付けなどでも破格で施工してくれます。ちなみに今回は作業工賃¥3,000(税別)でした。ここまでおおむね30分たらずで終了です。こちらの質問攻めに応えながらのこの作業時間、感服いたしました。
ヤイリを訪れる前にピックアップ取付けも含めて問い合わせの電話をしたのですが、「営業時間内ならいつでも来て下さい。インタビューについてもその時に受付で聞いて下さい」とのことで、常にオープンなスタイルをとっているという印象でした。当日改めてインタビューのお願いをした所、それならこの人に、と社長さんが案内してくれたのは、カスタムショップでオーダーメイドやショーモデルを手がけるマスタークラフトマン、小池健司さんでした。このとき小池さんはオーダーギターに取りかかっていた所だったのですが、作業の手を休めて快くインタビューに応じてくれました。
小池さんは50年以上に渡ってヤイリの職人としてギター製作を続けており、技術はもとより閃きとセンスに国内外から高い評価を得ています。「小池モデル」とも言われる「By-Ken」シリーズは多くのプレイヤー憧れの楽器で、有名なオーナーには長渕剛氏、桑田圭佑氏、BEGIN、井上陽水氏、ポール・マッカートニー氏などそうそうたる大物ミュージシャンが名を連ねます。
アコースティックギター博士(以下AH):今回は宜しくお願い致します。まず始めに、小池さんはカスタムショップ所属とのことですが、具体的にはどんなお仕事をされていますか?
小池健司さん(以下、敬称略):職場はこの作業場(通常ラインとは独立したカスタムショップの作業部屋)で、ここで組み込みや塗装、調整など最初から最後までの作業ができます。ここでオーダー品やショーモデルを作ったり、修理や調整をしたりしています。カタログに載っているレギュラー品を作ることはありませんが、そういうオーダーがあれば、もちろんお受けします。着手すれば1本あたり3ヶ月くらいで完成しますが、現在受けているオーダーで1年半ほどの待ちになります。
AH:ギターを作る上で、どんな所に気をつけていますか?
小池健司:カスタムショップはオーダーメイドなので、いかに依頼主さんの望むものに合わせるかに最も気を使います。その人のこだわりを形にするのであって、材料や音などは自分のこだわりではなく、お客さんのこだわりを優先します。依頼主さんもギターのことをよく知っていますから、在庫の中から木材を自分で選ぶ人もいますよ。
最近はフィンガーピッキングを多用する人からのオーダーが多いですが、それでも4フィンガーや3フィンガー、ボサノバなどどんなスタイルを中心としているか、またどんな音が好きかが人によって違います。例えば「柔らかい」「堅い」などの音の好みを言葉で伝えたり受け止めたりするのは、その基準も人それぞれですから大変難しいことです。ですからなるべく依頼主さんとお話をします。話題は音楽の話に限らず日常的な内容でもよくて、その人のことを少しでも理解して、その人のことをイメージしながら木材の選定をしたり、力木(=ブレーシング)の位置や形状を決めたりします。
一旦完成したギターをしばらくしてから持ち込んできて、もっと追い込んだセッティングを求めてくるオーナーさんもいます。鳴り方を調整するために力木を削ることもありますよ。
AH:ヤイリギターの最大のこだわりといったら、何になりますか?また、製品をどんな人に使って欲しいですか?
小池健司:まず「手作り」にこだわっていて、注文がたくさん入っても品質を下げてまで量産しない、という姿勢をかたくなに守っています。先代(故矢入一男氏)は「メイドインジャパン」が口癖でした。海外の工場で安く作るということは一切しません。とにかく目の届く所でやらないと、品質が悪くなってしまいます。
ショーモデルは見せるためのものですが(笑)、オーダーメイドはまさにその人に向けて作っています。
AH:近年「永久品質保証」を打ち出すメーカーは珍しくありませんが、ヤイリが他メーカーに先駆けて始めていましたね。
小池健司:ヤイリが初めてだと思います。自社製品については「永久に面倒を見ます」という考えで、お買い上げから1年以内の調節は全て無償、それ以降は格安で行っています。またこちら側の原因で生じた不具合についても無償です。修理についても格安で承ります。
AH:作業場の天井にはきれいなトップ材が吊り下げられていますが、マホガニーやハカランダなど、銘木はまだ手に入るのでしょうか?
小池健司:オールハカランダボディのギターも出していますが、さすがに単板ではできません。材料屋やネットを通してたいがいの木材はまだ手に入りますが、オーダーメイドのシビアな要求に応じることのできる良材は減りました。特にカスタムショップは「オール単板」にこだわっていますから、材の選定に苦労は絶えません。
AH:ヤイリには楽器に音楽を聴かせる部屋がありますよね。どんな音楽を聴かせるのでしょうか。また、これにはどういう意味があるのでしょうか。
小池健司:完成品だけでなく、材料の段階から音楽を聴かせることもあります。ネックなど部品や作業の途中のものなども入れられますが、とにかく音楽により「振動を与える」ということが目的です。これによって木材の成長が促進され、また接合部分が馴染んで、振動しやすくなります。いいギターは新品で鳴りが悪くても、30分も弾けばどんどん音が変わっていくものです。ヤイリではそういうことを部品のうちからやっておくわけです。聴かせる曲はヤイリギターを愛用してくれるアーティストさんの曲が中心ですが、仕上がったギター専用の音楽部屋ではクラシックを聴かせています。ただこのジャンルでなければならないということはなくて、音量を上げて空気の振動を楽器に与えてやることが重要です。
しっかり振動を与えることで響きやすくなり、軽いタッチでも美しく響くようになります。例えば買ってからずっと小さい音でしか弾かないという方もいらっしゃいますが、普通はある程度大きな音で鳴らしてあげないとボディが鳴ってくれません。出荷した時点で軽いタッチにもしっかり反応するように仕上げておくことで、このように小さい音で弾く人もいい音を手に入れることが出来るわけです。
音楽部屋を作る前は、「弾き込んで鳴りを良くする装置」を作ろうとしていました。円の中心を向くようにギターを並べて、その中心にはモーターを置き、モーターの回転で装置の先に付けたピックが次々とギターを鳴らすわけです。しかしギターの並べ方を少し間違えただけで何本もギターを倒してしまって、却下になりました(笑)。さすがに当時の資料は残っていません。
AH:ヤイリとBEGINの共同開発で知られる一五一会ですが、開発当時の思い出などはありますか?
小池健司:一五一会は「このイメージで」と、花札の「短冊」の絵をもらって私が製作しました。三線がベースといいながら4本弦の楽器ですが、三線に低音弦を加えたものになっています。
一応「世界一簡単な楽器」と言っていますが、指一本でコードになるから簡単に覚えられるという意味です。しかしどのコードも同じように一本の指で4本の弦を押さえ続けるというのは、結構体力が必要ですね。またロックのリフが弾きやすく、そのためにこの楽器を選ぶという人もいるみたいですよ。初心者でも全く心配なく挑戦できる楽器ですが、上級者向きの深い楽器でもあると思います。
一五一会
AH:「これは無理!」って思った修理はありますか?
小池健司:大抵のことはやりますが、これは無理、というものは今の所ありません。震災で潰されたギターが送られてきたこともありました。ここまでぶっ壊れていると、修理するよりも改めて買ったほうが安いです。しかし「思い出のあるものだから」ということでしたから、復興支援の意味も含めて格安でお受けしました。
これが、
2週間ほどで、新品同様。
そしてこれが、
はい、またこの通り。
大抵のものは治ります。
AH:ハイポジションで大きく順ぞりする「腰折れ」なども修理できますか?
小池健司:あまり酷いものはネックを交換してしまいますが、ヤイリは大多数のモデルでネックを奥まで挿す工法(=エクストラサポート・ネックジョイントシステム)を採用しているので、そこまでひん曲がることはほとんどありません。
AH:トラスロッドは順ぞり/逆ぞり両方に効きますか?
小池健司:ヤイリの鉄芯(=トラスロッド)は順ぞりしているものを調整するもので、逆ぞりには効きません。逆に反っていくネックはまずありませんし、何より両効きの鉄芯は重くなってしまいます。
AH:弦を張りっぱなしも大丈夫ですか?
小池健司:よく訊かれますが、いつも「張りっぱなしで大丈夫。むしろ緩めてはいけない」と応えています。この部屋に飾っているショーモデルも、チューニングはバッチリの状態です。安定させるのが一番で、チューニングを下げたり戻したりすることでネックやトップが動かされるのが、ギターには良くないんです。それで調整が狂ったら、直してあげれば良いことです。弦を張った状態がギター本来の姿です。長期保存するならちょっと緩めた方が、とも言われておりその意見は否定しませんが、私自身はそれを実施したことがありません。心配ならちょっと緩めても問題ないよ、というレベルです。弦で引っ張られていないと、木材は前後に限らず右にも左にも行こうとしますから、緩めるのは気休め程度にとどめておきましょう。
あとは、ケースにしまい込んでしまわず、出しておきましょう。ケースに湿気がこもってしまったら抜けないままだし、音の成長もありません。出しておくことで、生活音が空気の振動としてギターを刺激し、少しでも成長を促します。また熱い時も寒い時も持ち主と同じ環境にいることによって、ギターは気候の変化に強くなっていきます。過保護なギターはちょっと外で弾いただけでどんどん音が変わってしまいますよ。
事務所に展示しているヤイリギター80周年記念モデル
AH:ヤイリギター80周年を記念したモデルが発表されましたね。
小池健司:この部屋に飾っているコレもその一本で、私が製作しました。サイド/バック材はタモという日本原産の木材です。主に家具に使われるもので、ギターでは珍しいですね。先代が秘蔵していた木材で、本来は木目が真っすぐなんですが、根っこの方はこのような模様が出ます。和材を取り入れているということで指板には桜のインレイを施していますが、全体的に貝を控えて寄木細工でインレイを施しています。
コレと同じものが欲しい、というオーダーも来るんですが、材料がもう本当にぎりぎりなので、受注できるかどうかは社長に訊かなければなりません。柾目(真っすぐ)のタモならあるけれど、杢のあるタモは本当に希少なんです。
AH:木製楽器の塗装として最も優れていると言われているニトロセルロースラッカーですが、ラッカー自体も高価なため珍しくなりましたね。かつてはカタログやメーカーサイトにニトロセルロースラッカーの紹介がありましたが、今は見られません。
小池健司:カスタムショップでは当たり前の塗装として使用しています。レギュラー品でも使用していますよ。塗装は薄ければ良く、厚塗りしてしまうと振動を妨げてしまいます。ヤイリのラッカー塗装は経年変化でクラックが入ることが少ないようですが、使っているうちにビシビシ入るような塗装もできます。
AH:2本だけ作ったという「リラギター」がありますね。
小池健司:これね。文献でギリシャの古楽器「リラ」のことを知り、貴婦人が弾く楽器だと知って興味を持っていました。昔から作りたかったんだけど、この長さの材料がなかなか無くて、ようやくぎりぎりの横幅だけど充分なサイズの材料を手に入れて作りました。横幅がぎりぎりだったから、ハイポジションでのバレーコードが弾きにくくてしょうがない(笑)。2本目は3ピースに妥協することで、横幅を確保して弾きやすくなっています。ナイロン弦を張って、ギターチューニングで弾きます。一見大きいですが軽量で、軽やかな乾いた音です(二本目は岐阜県関市のギタリストが弾いています)。
AH:ありがとうございました。
小池健司:ありがとうございました。
以上、時間にして一時間程に及ぶインタビューに小池さんは快く応じてくれて、なかなか聞くことのできないことを話して頂きました。半世紀のキャリアを持ち、世界的なメーカーのトップにいる職人という前評判から、ぶっきらぼうな堅物というイメージを勝手に抱いていました。しかし当のご本人は大変気さくな方で話も面白く、いろいろな質問に丁寧に答えて下さいました。良材や加工技術は当たり前で、「その人のことを思って作る」とおっしゃるように、人との関わりを大切にしている人情味のある職人さんです。この小池さんに憧れて、全国から入社志望のクラフトマンがヤイリを訪れるといいます。
小池さんが手がけるカスタムショップ製ギター:By-Ken シリーズ
ヤイリのカスタムショップには、この小池さんを始めとする3人のクラフトマンが所属しています。クライアントとクラフトマンが一対一で話し合って作られる「究極のオーダーメイドギター」は、本体のデザインやマテリアル、塗装やパーツを始め、ネックのシェイプや弦高などあらゆる項目でトップアーティストの要求にも応える最高のクオリティで組み込まれ、そこに相手を思う温かみが注がれて完成します。
技術や品質の高さは、これまで発表されてきた多くのショウモデルで知ることが出来ます。クラフトマンの人情味は、オーナーになってみないと判らないかもしれません。